LECTURESHIP

講座のご案内

  1. HOME
  2. 講座
  3. 感性論哲学
  4. 2021年5月27日 感性論哲学講座 「人間の格」 講師 芳村思風先生 68分

2021年5月27日 感性論哲学講座 「人間の格」 講師 芳村思風先生 68分

 

感性論哲学 講義内容 「人間の格」

人間の森大学 川人正臣

◆日時 2021年5月27日 木曜日 20時00分~22時00分 ZOOM開催

◆内容

「人間の格」えぇ、それってなに? 難しいと思うかもしれませんが、人間の格とは、魅力のある人間とはいったいどのような人間かとうことです。仲間や、お客さんや、いろいろな人たちから、あの人は素晴らしいな、人格者ですねと憧れられる、そんな人間的魅力を養うための考え方です。

人間の格とは、人間らしい人間になるための定義ともいえます。人間は犬や猫などの動物とは違います。他の動物にはない人間らしい特質があるのです。人間性とは、人から信頼される、人から尊敬される、血の通った豊かな心、温かい人情を持った人間の格のことです。人と人とが、心を通い合わせることができる人間性、人間の格を持つことで自分自身もまた周りも幸せにできる。

最近SNSやネットでの誹謗中傷や批判が多い。間違った倫理道徳(理性的な考え方)を信じ込んで、ヒステリックに相手を非難する。ひどいのは自分の名前を隠して批判するというようなことが横行している。残念な世の中になっている気がします。

世界中を見ても、いまだに戦争が続き、人間同士が憎しみあい、殺し合いも続いている。ウイグルではジェノサイドも起きている。そんな非人道的な社会にどうしてなってしまったのだろう。今こそ、人間らしい在り方、生き方とは何かという原点に立ち返って見つめなおす必要があると思います。

人間の命は自分で作ったものではない。

自分の命は一体誰が作ったのだろうか。それを作ったなにか偉大なるものがあるはず。命は決して人間が作ったものではないという事実は誰しもが分かっているはず。宇宙の中にある超越的な存在が命を作っていると昔から考えられてきた。表現はいろいろある。神が作ったと思った人は、その神を崇め宗教へと発展していった。生きとし生けるもの、すべては偉大なる何か、ここではサムシンググレートと呼んでおくが、この偉大なる何かによって命は生み出されている。

目には見えないが確実にあるこの生命を生み出している不思議な現象。ですから決して自分の力だけで生きているのではないという事実をまず認めることから深い思索が始まる。何のためにこの命を作られたのだろうか。そこにはどんな意味があるのか。自分に与えられた命にはどんな価値が有り、何の使命を抱いて生まれてきたのだろうか。このように類推していくことが哲学であり、それを探求していくと、人間同士が命を奪い合ったり、誹謗中傷している行為がいかに醜いかということに気づくはず。自分を作り出してくれた偉大なるものの言葉に耳を傾けるべきではないだろうか。

「人間の格」は大きく分けて3つある。

(1).不完全性の自覚を持った謙虚さを持っているか。

 先ず第一に人間の格に最も大切なのものが「謙虚さ」である。自分は不完全なんだという自覚を持っているか。不完全である自覚から滲み出る謙虚さを持っていることが人間として最も大切なことだ。この謙虚さがないから、いがみ合い、争い合い、批判し合い、社会は地獄と化しているのではないだろうか。

 

(2).より以上を求めて生きる成長意欲を持っているか。

不完全でありながらも完全を目指し続ける。高い理想を持ってより良い人物を目指し続ける努力。もっと、良くなりたい。もっと、成長したい。この欲求こそが自分を成長させ、社会を変えていく原動力となっていく。

 

(3).「愛」深い寛大な愛を持っているか。

人間は一人では生きられない。社会性の動物であるからだ。人と関わりながら生きていくしかない動物なのです。しかし、社会に出ると考え方の違う人、意見の違う人と常にぶつかることになる。そこに「愛」が必要となってくるのです。

愛とは何か、価値観の違う人、宗教観の違う人、考え方の違う人ともうまくやっていく能力のことです。この愛の実力を身に着ける。愛とは、認めてあげ、許してあげて、信じてあげて、支えてあげ、助けてあげる。相手を心から認めてあげること。この深い愛があるからこそ意志が通う関係ができる。

これが人間にしかできない高度な愛のカタチなのです。一般的に言われている愛とは、親子の愛や、恋人同士の愛という限定された範囲のことですが、本当の愛とは最も大きな意味を持っている。例えば自分の嫌いなタイプの人、考え方の違う人、そういう自分とは違う人、或いは敵対する人とうまくやっていく大きな愛が必要となります。この3つが感性論的に考える人間の格です。

 

◆長所と短所は半分ずつ

人間には必ず長所と短所があります。しかもそれは半分ずつあります。大きな長所を持っている人には、それに相当するような大きな短所を持っているはずです。

これは宇宙の摂理からも説明できます。宇宙の摂理とは、陰と陽で表わす二極のバランスで保たれている。例えば、電極はプラスとマイナス、昼と夜、男と女、善と悪、すべてのものは相反するもののように思われますが、実は両極が一対となってはじめてバランスを保つという原理を持っているのです。神社の狛犬も一対ですね。左右対称に並べる一対というしきたりもここからきているのです。

善悪も、両極にありますが、どちらが良い悪いという単純なものではないのです。良いものだけではバランスが保てない。悪だけでもバランスが保てない。その両方が一対となり、一体となってバランスを取り調和していると考えるべきでしょう。

短所も、それだけを見ればよくないものではありますが、その短所があるからこそ謙虚になれるとか、逆に長所は一見素晴らしいことではありますが、その長所によっておごりが出て失敗するとか。こんな事例はいたるところで見受けられます。どちらの特徴も包括して受け入れることではないかと思います。

 

◆理性は不完全である

 ほとんどの学者も人間も理性を信じている。ですから自分の理性で考えた答えは正しいと信じ込む。それを理解していない人を見ると、つい正したくなる。SNSなどで誹謗中傷しているのがこの心理だと思います。理性的に考えて正しいと思っていることも、相手にとっては正しくないこと、意味のないこともたくさんあるのです。

理性で正しいと判断すると、自分と違う考え方の相手を正さなければならないという正義感に囚われて叱ったり、批判したり、ひどくなると誹謗中傷してしまう。最終的にはそれが殺してしまうほどの攻撃に至ることもある。

例えばコロナの対応策では、医者という立場から理性で考えると、「我々医師はどんなことがあっても患者の命を守ることが使命だ」という正義をもって仕事をする。これは当たり前であるので、感染防止策や自粛や医療現場の充実を訴える。

一方で企業経営者という立場で考えると、自粛して経済活動を止めてしまったら、経済活動が縮小して大不況となる。それによって、倒産、廃業、解雇。そして働く場を失って貧困化し、最悪は自殺者も増えて社会が荒れることになる。だから自粛はほどほどにしなければならないと。経済を止めることが結果的に社会全体を悪化させてしまうという理屈。これはこれで経営者としての正義である。それぞれの立場の違いがあるので、どちらも正義であり正しいことを言っている。これが理性の正体であり。その正論には逆らうことはできない。

このように理性的に考えると、立場や環境によって考え方や正義は全く逆になったり、意見がかみ合わなくなる。ということは理性的考え方は、みんな偏見だらけということだ。偏見がすべて間違っているとは一概に言えないが、自分の今の考え方が相手より正しいとも言えない。その時の時代背景や、立場や、環境によって正しいとか正義というものは真逆になるということ。

感性論哲学においては、この両者の理性的判断を否定するのではなく、また両者の言い分を受け入れはするが、その意見の違いを「感性」、すなわち心の叫び、心の底から湧き上がる本心の中から判断をする。心の叫びとは、表現が難しい。文字にすることもできないが、「理屈じゃないんだ」「今、心から欲しているのはもっと自由に生きたい」「人間らしく生きたい」「もっと自然に生きたい」というものだと思う。

理性的考え方と、それに加えて感性的考え方の両方で、人間らしい判断をすることができるのが感性ではないかと思う。

以上

関連記事