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2020年10月22日 第6回人間の森大学 人間学講座 テーマ「鈴木大拙の思想」 51分

テーマ 鈴木大拙の思想  講師 小野晋也先生

◆テーマ 鈴木大拙の思想

◆概要

 歴史を紐解くと戦争や疫病などが起きた時に、時代は大きく動いてきた。まさに今、その時ではないだろうか。新しい時代にふさわしい文明が起きる時、今こそ人間の森文明が必要となる時代がやってきた。

 

◇禅は生きることであり、禅は生活である。生きることが禅なのだ。つまり、我々は禅によって、生きているのではなく、禅そのものを生きているのだ。

 

世の中にあるものすべては一つのものであり、そのすべては自分であるともいえる。このことが理解できれば悟ったようなもの。初めて聞くと意味が分からないかもしれないが、これが真実だと思う。

 

意見の相違や考え方の違う人と自分もすべては同じである。対立する相手が実は自分であると思えるかどうか。なぜこの人は、このように考えるのだろうか。相手が自分であると理解できれば、相手の立場を理解するように努めるだろう。そして、考え方の違う相手を否定したり排除するのではなく、相手にとっても自分にとってもより良い解決策を本気で模索することができる。

 

世の中に存在するすべての人、価値観も違えば宗教も習慣も考え方も違う。それを一方からの都合で、良いとか悪いとかと、両極に分けて対立しているのが近代の理性的考え方だろう。この価値観こそが、近代的文明の特徴でり、争いが生まれる根源であると思う。

 

そうではなくて、自分にも相手にもどちらにもそれぞれの考え方や言い分がある。違う価値観や考え方にも、必ずその背景や意味がある。そんなとき、前向きにかつとことん話し合って、相手の言い分、自分の言い分、さらには双方にとってより納得できる解決策はないかと考える。最初から相手を否定せず、前向きかつ肯定的かつ、お互いが自分であるという思いやりの気持ちを共有することによってしか、問題は解決できないと考えている。これ以外に良い人間関係を築く方法はないのだ。

 

 近代における西欧的価値観は理性的解決しかない。理性的とは、自分が正しい(相手か見ると間違っていることも多いのだが・・・)という理屈で、相手を否定したり、排除したり、良いか悪いかという二つに分割して攻撃する傾向が強い。

東洋的というか日本人的価値観はどうか。お金や物が一番大事だという考え方ではなく、お金や物よりも「心」が大切であるという考え方。相手を思いやり、相手の立場を尊重するという「謙虚」さが最も美しいという価値観化であるので、単純に正しいとか間違っているという裁きをしない。

ですから、日本的考え方は自分の「良心」が本当の意味において満足するという考え方。これが新しい時代の世界スタンダードになれば争いは減っていくだろう。

 

お釈迦様は、「天上天下唯我独尊」といった。自分の命は他と比べようのない唯一の尊い命である。その意味は、悩みや苦労のない極楽の人生がいいというものではなく、逆にそんな人生は面白くない。人に使われて、ぬるま湯の中で生きることよりも、自分の意志でやりたいこと、すなわち自分の命に与えられた使命を見つけ、その使命(命を懸けてでもやり抜きたいと思えること)のために、例え苦労といばらの道であっても向かっていく。

自分の意志で何かを成し遂げる道こそが、本当の意味において自分の人生を誇りにできる生き方ではないだろうか。天の上にも天の下にも自分は一人しかいない。その自分に与えられた使命にすべてを懸けて生ききる。だから、人生というのはぬるま湯につかって極楽で生きるよりも、苦しみや困難な人生であっても、随所に主となって生きたいものではないだろうか。

 

人生の意義

何が自らの独尊であるかを見出したい。あるいは尊厳のある人生とは何かを考え抜いて生き抜きたい。

その為にも、人間は苦しむということを避けてはならない。苦しむという行為は、自分の心を鍛え、人間性を高め、人生を価値づけるのである。実に、随所に主となるところに見出されるのである。

 

現在の寺社にお参りする理由はたんなる観光だろうか。自分の御利益ばかりを祈る習慣しかなくなってしまったが、本来のお参りする意味は全く違う。利害得失ではなく、それを超えて人を助けたいという思いや願い、もう神に頼るしかないという止むに止まれぬ時に祈るものであり、利益交換のような取引では価値がない。

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