2022年1月27日 テーマ 「燃えて生きる」 感性論哲学講座10講 講師 芳村思風先生 75分
講義概要
第10講義 2022年1月27日 開催 テーマ 「燃えて生きる」
◆命は燃えるものを求めている。
「感じてこそ人生」 「燃えてこそ人生」 「燃えて生きないと人生ではない」
心の底から湧き上がってくるもの、心からやりたいことに燃えて生きたいじゃないか。
子供の頃、プラモデルに凝って夜中まで必死で組み立てていた。なんとしても作り上げたい。とにかく作りたい、その一心で熱中していた子供の頃を思い出す。そう、なんでもいい、本気で熱中すること、何かに没頭すること、無我夢中でやりたいことをやっている時、人間はもっとも充実した時間を味わい、この連続こそが燃えて生きるということの原点ではないだろうか。燃えて生きてこそ最高の人生だ。
◆何がしたいのかわからない?
子供のころから画一化された学校教育によって、全員が全く同じカリュキュラムで同じように学んできた。一人ひとり個性も性格も体格も趣味も違うはずなのに・・・。なぜか全員が同じことを同じように学んでいるうちに、みんな同じような個性の感じられない人が増えてしまった。
大学を卒業して、さあ働くぞというときに、自分は一体何をしたらいいのかわからない。「何がしたいの?」との質問に答えが出てこない。そんな学生がいかに多いことか・・・。結局のところやりたいことが分からない人は、人から言われてやらされる運命にある。指示されたことをやるだけ。これは、言葉は良くないけれども、一種の奴隷に近い。指示する側、すなわち支配する側の言いなりになってしまう。これでは自分らしい生き方はできない。
◆人間らしく生きる
人間らしいって何? 心の底からやりたい事に燃えて生きる。人から指図されて動きたくはない。自分が自分の意志で考え決めて動く。主体的に生きないと人間らしく生きられない。自分の想いと意志をもって生きる方が自分らしく生きられる。
人情を持って生きる。心の底からこれがやりたいんだという湧き上がる想い(感性)を持って生きる。これが自分らしく生きることの原点だ。すなわち人間らしく生きることにつながる。
今の時代はその想い(感性)を押し殺して生きている。理屈(理性的考え方)が通ればそれでいい。筋を通せばそれでいい。説得できればそれでいい。こういう理性的な考え方が、人間本来持っている感性を押し殺してしまっている。だから、子供が親や先生に向かって、「うっせーなぁ」と叫んでいるのだ。親や先生が言う理屈はどうでもいい。俺は心が喜ぶような人情や愛が欲しいんだ。やさしさを感じる心が欲しいんだという叫び声が聞こえてくる。人間らしい、人情のある、血の通った、心のある人間らしい心で接してほしいと叫んでいる。
◆燃えて生きる方法とは
人間が何かに熱中したり、燃えたりするためには、その対象に対して意味と価値がいる。すごいなとか、ああなりたいなとか、カッコいいなとか、その対象に対して意味や価値を見出せると、その対象に本気になって熱中することができるのである。その極みが、その対象の為なら自分の命をかけてでもやりたいと思える域に達する。その対象に出会うと命を燃やして生きることができる。
その対象とは仕事であったり、スポーツであったり、趣味であったり、時には人の場合もある。好きになった人のために命をかける。この妻の為なら何でもできる。或いは尊敬する師であることもある。その対象に対する想い(意味と価値)に、自分のすべてを懸ける価値を見出した瞬間である。
◆学校教育は感動や喜びを教える教育になっていない
小学校という少年期の大切な期間にのびのびとした感性の芽を摘んでしまっている。今の教育は知識の詰込みだけが教育ではないということに気づいていない。子供の頃はいろんなものに興味を持ったり、色んなことをしてみたいという人間本来持っている自然な欲求から自分の天分を見出す教育になっていない。少年期の多感な時期に、劣等感や失敗体験を通じて、どんどんと自分を卑下して自分自身をマイナスに誘導してしまうような教育がなされている。
年代別死者数のデータを見ると、10代20代30代の死因のトップは自殺だ。40代を超えてくると癌とか病気がトップに出てくるが、若者の一番の死因が自分が自分の命を奪うという悲惨な結果となっている。
それはなぜか、子供のころに学ぶことの楽しさや、喜びや、達成感などの教育がされていないからではないか。子供は、「やったー」「できたー」「楽しいー」と心を感動させる。学ぶことや体験することで感動させるような教育が本来の学校のあるべき姿ではないか。
その為には、この子は記憶力が低いとか、頭が悪いとか、子供を一面から見て批判したり否定してはいけない。子供が「わかりません」と言ったら、その子供の頭が悪いのではなく、教える側の力がないだけ、教える能力や、伝える情熱がないのではないかと、教える側が反省すべきことだ。
教える側の親や先生は子供を支配するために子供を否定してはいけない。子供に頭の悪い子はいません。そのように子供を創り上げているのは教える側なんです。
これからは一律に大学を出ればいいという学歴社会ではなく、一人ひとりの子供にとっていろんな選択肢があって、自分の興味のあるものを見つけて、その個性を伸ばしていく教育が必要だと思う。
◆命というものは宇宙のすべてを知っている
命はすべてを感じています。そして命はなんでも知っているのです。鮭は生まれた川から海に出て数年かけて成長して、また自分が生まれた川に遡上して子孫を残す。これは鮭の命は、生きていくうえでの循環を知っているという証です。
◆命に火をつけるとどんな偉業も成し遂げられる
本田宗一郎氏も松下幸之助氏も学校はまともに出ていない。基礎的な教育も受けたわけではない。学校で知識を学んだわけではなかったけれども、オートバイを作りたい、自動車を作りたい。心の底から作りたいと思い続けたから、どうしたらできるのかと考え抜いた。自分ができない事は誰かにやってもらえばいい。「やる気」さえあれば何でもできるということ。二人に共通する点は、これがしたいという「やる気」です。「やる気」に火をつけたら何でもできるということ。やる気に火をつけると命が燃える。ボクシングもK1も、エベレスト登山も、「やる気」という火をつければ命をかけてもやりたいという使命に変わる。命に火が付くと、命の燃えるエネルギーとなってどんなことでも成し遂げられるんですね。
◆今起きている困難はすべて新しい時代の幕開けだ
コロナ禍も今起きている問題もすべては不幸ではなく、自分自身を成長させてくれる。社会を変化させ進化させてくれるために起きている意味のある課題であると捉えるべきだ。宇宙に起きているすべての現象は、すべて必然である考える。母なる宇宙が今生きている自分たちに問題や不幸という形で体験させるために現れている現象であると。だから目の前に起きている問題を否定してはいけない。全てなんらかの意味と価値を持っているのです。ですから全てを必然として受け入れなければならない。不幸な体験は、同じような不幸を抱えている人の気持ちが分かるようになるという意味と価値が有る。ですからどんな不幸も問題もすべては必然であるのです。過去に起きた不幸も問題もすべては良かったこと。全てを体験として受け入れ、それを人生に活かしきって生きるということが自分自身の成長へとつながり、社会を大きく変えて進化させることになるのです。
拝 川人正臣