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2020年6月28日 58回易経講座 地天泰 泰平は傾く コロナの易経的解釈

 

第五十八回 平成猶興会 易経資料 令和二年六月二十八日 ◎本日の易経 澤風(たくふう)大過(たいか)(巽下兌上(そんかだじょう))(大事と忍耐) 「大過」の卦は、大即ち陽が多すぎてそれを支える者が弱く、組織としてアンバランスな状態を意味している。 彖伝に棟木が大きく立派なのに対し、それを支える土台の柱が細く弱く、今にも倒れそうな状態であるとしている。国や会社に譬えると手に余る事件や仕事を背負いこんで四苦八苦して居る状態。上の権力が強くなりすぎて、上下間の意思疎通がスムーズに行っていない危うい状況である。 今日、我々を取り巻く社会情勢は、眼前には新型コロナウイルスの蔓延という国家危急の状況があるが、世界的にみると、米中という二大大国の力が余りにも強くなりすぎて、彼らの我儘、やりたい放題の結果として、今日の状態が表面化してきた。グローバリゼーションで世界経済が一元化し、ヒトとモノの行き来が急激に接近した。その弊害が今回のような感染症の世界伝播という不測の事態を引き起こした。米中の二大大国の今後の振る舞いと   その時、日本はどう対処すべきなのかを考える絶好の機会である。    澤風(たくふう)大過(たいか)   (巽下兌上(そんかだじょう)) 卦辞 大過(たいか)は棟(むなぎ)撓(たわ)む。往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よろ)し。亨(とお)る。 彖辞 彖(たん)に曰(いわ)く、大過(たいか)は、大(だい)なる者(もの)過(す)ぐるなり。棟(むなぎ)撓(たわ)むとは、本末(ほんまつ)弱(よわ)ければなり。剛(ごう)過(す)ぎたれども中(ちゅう)し、巽(そん)にして説(よろこ)びて行(い)く。往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よろ)し。乃(すなわ)ち亨(とお)る。大過(たいか)の時(とき)は大(だい)なるかな。 象辞 象(しょう)に曰(いわ)く、澤(たく)、木(き)を滅(めっ)するは、大過(たいか)なり。君子(くんし)以(もっ)て獨(どく)立(りつ)して懼(おそ)れず。世(よ)を遯(のが)れて悶(もだ)ゆる无(な)し。 爻辞 初六(しょりく)、藉(し)く白(はく)茅(ぼう)を用(もち)ふ。咎无(とがな)し。 象(しょう)に曰(いわ)く、藉(し)くに白(はく)芽(ぼう)を用(もち)ふとは、柔(じゅう)、下(した)に在(あ)るなり。 九二(きゅうじ)、枯(こ)楊(よう)、稊(ひこばえ)を生(しょうず)ず。老夫(ろうふ)、其女妻(そのじょさい)を得(う)。利(よろ)しからざる无(な)し。 象(しょう)に曰(いわ)く、老夫女妻(ろうふじょさい)は、過(す)ぎて以(もっ)て相與(akums)するなり。 九三(きゅうさん)、棟(むなぎ)撓(たわ)む。凶。 象(しょう)に曰(いわ)く、棟(むねぎ)撓(たわ)むの凶(きょう)は以(もっ)て輔(たすけ)有(あ)る可(べ)からざるなり。 九四(きゅうし)、棟隆(むなぎたか)し。吉(きち)。它(た)有(あ)れば吝。 象(しょう)に曰く(いわく)、棟(むなぎ)隆(たか)きの吉(きち)は、下(した)に撓(たわ)まざるなり。 九五(きゅうご)、枯(こ)楊(よう)、華(はな)を生(しょう)ず。老婦(ろうふ)、其(そ)の士夫(しふ)を得(う)。咎(とが)も无(な)く誉(ほまれ)も无(な)し。 象(しょう)に曰(いわ)く、枯(こ)楊(よう)、華(はな)を生(しょう)ずるは、何(なん)ぞ久(ひさ)しかる可(べ)けんや。老婦士夫(ろうしふ)は亦醜(またしゅう)とす可(べ)きなり。 上六(じょうりく)、過(す)ぎて渉(わた)りて頂(いただき)を滅(めっ)す。凶(きょう)。咎无(とがな)し。 象(しょう)に曰(いわ)く、過(す)ぎて渉(わた)るの凶(きょう)は、咎(とが)む可(べ)からざるなり。 澤風大過 (巽下兌上) (大事と忍耐) 大過(たいか)の卦(か)は、上(うえ)の兌(だ)の卦(か)の澤(たく)と下の巽(そん)の卦(か)の風(かぜ)と、それに卦の名を添えて澤風(たくふう)大過(たいか)と称(しょう)して、卦(か)の名(な)と形(かたち)とを記憶する。大過は、大(だい)なるものが過ぎる、。大(だい)なる者が盛んに過ぎ、行き過ぎて居るのである。易(えき)では陽(よう)を大(だい)、陰(いん)を小(しょう)とする。此(この)卦(か)は重要(じゅうよう)なる中部(ちゅうぶ)に陽爻(ようこう)が四本(よんほん)、上下の比較的(ひかくてき)重要(じゅうよう)でない位地(いち)に陰爻(いんこう)が僅(わず)かに二本ある。即ち、大なる者即ち陽爻(ようこう)が盛(さか)んに過ぎ、行き過ぎて居る者である。それが大過(たいか)の卦(か)の根本(こんぽん)の意義(いぎ)である。それから転(てん)じて、大(だい)なる者が過ぎるのであるから、大(おお)いに過ぎるという意味も出来る。この連続する二つの意味を以て、此の卦を解釈して行くのである。 前にもお話したように、六十四(ろくじゅうよん)卦(か)の中で、大(だい)の字(じ)の附(つ)いて居る卦(か)が四つある。火天(かてん)大有(たいゆう)は、大なる者即ち、陽爻(ようこう)が沢山(たくさん)あり、山(さん)天大畜(てんだいちく)は、大(だい)なる者即ち陽が他の大なる者即ち陽(よう)の勢(いきお)いが盛んなのである。全て易の卦の名に附けられた大(だい)は陽(よう)を意味する。反対に、雷山小過(らいざんしょうか)、風天小畜(ふうてんしょうちく)などのように小(しょう)の名(な)の附く卦(か)の小(しょう)は陰(いん)を意味するのである。 そういう訳で、大過(たいか)の卦(か)の意味(いみ)は大(おお)いなる者が盛(さか)んに過(す)ぎることと、物事(ものごと)が大(おお)いに盛んに過ぎることと連続する二つの意味がある。大なるものが過ぎるとは、意味(いみ)が極(きわ)めて広く、自然界に於いても、人事に於いても、すべて大(だい)なるものが行き過ぎて居ることを言い、抽象的に云って居れば、意味が切実にならぬので、卦(か)の言葉では、「棟(むなぎ)撓(たわ)む」と譬(たと)えてある。此(この)卦(か)全体(ぜんたい)を一本の棟(むなぎ)と見ると、この棟(むなぎ)の中部(ちゅうぶ)は四つの陽爻(ようこう)で、極(きわ)めて大きく重く、両端(りょうたん)は陰爻(いんこう)で極めて小さく弱いので、中部(ちゅうぶ)の重さを両端(りょうたん)で支(ささ)える梁(はり)や柱(はしら)の類(たぐい)と見る見方もある。これは棟(むなぎ)ばかりが大きく立派で、梁(はり)や柱(はしら)はそれに相応(そうおう)しない小さいな哀(あわ)れな者であるので、棟(むなぎ)は下に向って撓(たわ)み曲がって傾(かたむ)くような事になるのである。大きくあるべき棟(むなぎ)であるが、これが余りに大きすぎるのであり、これが大過である。 こんな不釣(ふつ)り合いな家を建てる大工さんは有るまいが、然し、自然界には、これに似た事があり、その為に天変(てんぺん)地異(ちい)が起(おこ)るのであろうし、人事には古来(こらい)しばしば繰り返されて居る。此卦は中間の階級、即ち、或いは権(けん)臣(しん)、或るいは外戚(がいせき)の一族(いちぞく)、或いは、軍閥(ぐんばつ)というあたりの勢力が余りに強く、そうして下層(かそう)の人民(じんみん)は生活(せいかつ)にも困窮(こんきゅう)するほど弱ってしまい、極上層の人達も全く力が無く、余りに衰微しているので、結局(けっきょく)、終(つい)には中間階級(かいきゅう)も衰(おとろ)えて亡びてしまうのである。これが此卦の棟(むなぎ)撓(たわ)むの情態(じょうたい)である。 我が国の歴史にも、此例(このれい)は少なからずある。古い時代では、蘇(そ)我(が)氏(し)が物部(もののべ)氏(し)と争って、それを亡ぼし、勢力がむやみに盛んに成り、終に亡びてしまった事や、次に起った藤原(ふじわら)氏(し)の勢力が盛んになり、その頂上に至って衰えた事や、次に平氏(へいし)が起(おこ)って盛んになり、やがて頂上(ちょうじょう)に達(たっ)すると滅(ほろ)びてしまった事などは、大過(たいか)の禍(わざわい)と見ても宜(よろ)しかろう。当時、上と下とが甚(はなは)だしく衰微(すいび)していた事は想像し得られる。支那(しな)の歴史(れきし)には、もっと数多くの例があろう。外戚(がいせき)の専横(せんおう)、或いは、宦官(かんがん)の跋扈(ばっこ)、或いは、軍閥(ぐんばつ)の横暴(おうぼう)、そうして終(つい)に亡びた例は頻繁(ひんぱん)にある。此(この)卦(か)は上下(じょうげ)が弱(よわ)く、中間(ちゅうかん)の階級(かいきゅう)が強く盛んであるが、それも終(つい)に倒れてしまうというのが、此(この)卦(か)の意味(いみ)であり、其(その)場合(ばあい)に処(しょ)する道を説くのが此(この)卦(か)の趣意(しゅい)である。 此(この)卦(か)は、上(うえ)の兌(だ)の卦(か)は澤(たく)、下(した)の巽(そん)の卦(か)は風(かぜ)であるが、ここでは木(き)と見る。八卦(はっか)を五行(ごぎょう)に配当(はいとう)するとき、震(しん)も巽(そん)も木(き)であるが、震(しん)は陽(よう)の木(き)、巽(そん)は陰(いん)の木(き)、柔らかな木(き)、例えば、楊(よう)柳(りゅう)、灌(かん)木(ぼく)、又は草などと見る。此(この)卦(か)の象(しょう)は巽(そん)の木(き)の上(うえ)に澤(さわ)の水(みず)が覆(おお)いかぶさって居る。木の為に必要な澤(さわ)の水(みず)ではあるが、此(この)卦(か)ではそれが余りに多すぎて、木の上まで水びたしになって、却(かえ)って木を枯(か)らしてしまうのである。いくら自分の為に必要な者でも、余りに多すぎては、その為に自分は滅びてしまうのである。いくら国の為、又は、世の中の為に必要な者でも、余りにそれが多すぎ、強すぎては、国家又は世の中はその為に大いなる禍(わざわい)を受けるのである。それが大過(たいか)であり、大いに過ぎるということである。悪い者ばかりが世の中に害を為すのではなく、世の中に無くてはならぬ重要な者であっても、それが余りに多すぎ、強すぎ、盛ん過ぎる時は、世の中の為に大いなる禍(わざわい)を引き起こすのである。 大体(だいたい)、陽(よう)と陰(いん)とは両方倶(りょうほうともに)に欠くことが出来ず、そうして、両方が程好(ほどよ)く調和して略ぼ同じ位(くらい)の地位力(ちいちりょく)があるのが善いのである。この大過(たいか)の卦(か)の言葉は、陽が陰よりも甚(はなは)だしく盛んであることが、よくない結果を生ずることを説いたのである。明(みん)の何楷(かかい)は、「夫(そ)れ大小(だいしょう)は主(しゅ)輔(ほ)と相(あい)為(な)る。剛(ごう)柔(じゅう)は偏(へん)に勝(か)つ可からず。陽(よう)の能(よ)く陰(いん)を御(ぎょ)するを貴(たっと)び、陽(よう)の陰(いん)を凌(しの)ぎて之(これ)を蔑(ないがし)ろにするを貴(とうと)ばざる所以(ゆえん)なり。人は徒(た)だ陰(いん)が陽に過(す)ぐることの禍(わざわい)たることを知るのみ。豈(あ)に夫(おっと)の陽(よう)が陰(いん)に過(す)ぐることの福(ふく)と為(な)らざることを知(し)らんや」と曰(い)って居る。 序(じょ)卦伝(かでん)に前(まえ)の山雷頥(さんらいい)から澤風(たくふう)大過(たいか)に移(うつ)ることを説明して、「頥(い)とは養(やしな)ふなり。養(やしな)わなければ動くことは出来ない。大いに養う時は大いに動くことが出来(でき)、大(おお)いに動けば行き過ぎることになる。その故に、頥(い)の次(つぎ)に大過(たいか)の卦(か)が置(お)かれている。 “大過(たいか)は棟(むなぎ)撓(たわ)む。往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よろ)し。亨(とお)る。” 大過は大なる者が不釣(ふつ)り合いに大きく過ぎている。譬えば、棟が余りに大き過ぎ、それを支える本(ほん)と末(まつ)とが不釣(ふつ)り合いに小さい為に、棟が下に曲がり撓(たわ)んで居(お)り、この家はまことに危険(きけん)な情態(じょうたい)である。国(くに)が危急(ききゅう)存亡(そんぼう)の情態(じょうたい)であることに喩(たと)えたのである。然(しか)し、処置の宜(よろ)しきを得る時は、うまく亨(とお)り、盛んに伸び栄えることが出来る。禍(わざわい)を転(てん)じて福(ふく)と為(な)すことが出来(でき)るのである。それを「往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よろ)し」と曰(い)うのである。他の多くの卦(か)の言葉(ことば)は、「亨。利有攸往」とあるが、ここでは、「利有攸往」が前に、「亨」が後になって居る。これは進んで行って適当な処置をするが宜(よろ)しい。それに因(よっ)って亨(とお)ることが出来るという事を表(あらわ)して居ると見るのである。じっと何も処置をしないで居ては倒れるより外(ほか)はないのである。然(しか)らば、如何(いか)に処置(しょち)すれば善いかということは、いろいろな方法があろうが、彖伝(たんでん)の云(い)う所によれば、「剛過(ごうす)ぎたれども中し、巽(そん)にして説(よろこ)びて行く」とあり、上下(じょうげ)の卦(か)徳(とく)を以(もっ)て説明してある。此(この)卦(か)は陽(よう)剛(ごう)なる者が多すぎ盛んに過ぎて居るが、九二(きゅうじ)も九五(きゅうご)も中(ちゅう)の徳(とく)を持って居る。下(した)の巽(そん)は巽(そん)順(じゅん)、人にヘリ下り、従順(じゅうじゅん)の徳(とく)を、上の兌(だ)は和(やわ)らぎ悦(よろこ)ぶ徳(とく)を持って事を行うのである。即ち、陽(よう)剛(ごう)なれど中(ちゅう)の徳(とく)を持ち、人にヘリ下り巽(そん)順(じゅん)にして和(やわ)らぎ悦ぶ徳を以て事を行うので亨(とお)ることを得られるのである。人事(じんじ)に当(あ)てて見れば、上(うえ)の君主(くんしゅ)は柔軟(じゅうなん)で才能(さいのう)乏(とぼ)しく、勢力(せいりょく)無く(なく)、下(した)の人民(じんみん)は、皆、疲れ弱って居り、中部(ちゅうぶ)の要人(ようじん)は剛強(ごうきょう)にして権力(けんりょく)盛(さか)んなので、正面(しょうめん)から衝突(しょうとつ)することなく、剛強(ごうきょう)なれど中(ちゅう)の徳(とく)があり、巽(そん)順(じゅん)で和(やわ)らぎ、悦ぶ(よろこぶ)徳(とく)を以て、徐々(じょじょ)に権(けん)臣(しん)を上手く(うまく)指導(しどう)することを教えるのである。正面(しょうめん)衝突(しょうとつ)して全部(ぜんぶ)打ち壊して、根本(こんぽん)から改造(かいぞう)することも一つの方法であるが、それは最後(さいご)の非常(ひじょう)手段(しゅだん)であって、その事は此(この)卦(か)では説(と)かぬのである。此(この)卦(か)では剛(ごう)にして中(ちゅう)、巽(そん)順(じゅん)にして和悦(わえつ)という柔(やわ)らかな徳(とく)を以(もっ)て、徐々(じょじょ)に、指導(しどう)輔佐(ほさ)して、形勢(けいせい)の挽回(ばんかい)に勉(つと)めることを教えて居る。 自分等の力が足らず、準備も十分で無くて、権力ある人たちと正面から衝突(しょうとつ)して、終(つい)に、自分等の身も亡び、国(くに)も随(したが)って衰亡(すいぼう)するに至った例は、支那(しな)の歴史(れきし)に少なからず有る。成(な)るべくは、そうで無く、勢力盛んなる権(けん)臣(しん)に対して、柔らかに指導(しどう)輔佐(ほさ)することを教えるのである。 “彖(たん)に曰(いわ)く、大過(たいか)は、大(だい)なる者(もの)過(す)ぐるなり。棟(むなぎ)撓(たわ)むとは、本末(ほんまつ)弱(よわ)ければなり。剛(ごう)過(す)ぎたれども中(ちゅう)し、巽(そん)にして説(よろこ)びて行(い)く。往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よろ)し。乃(すなわ)ち亨(とお)る。大過(たいか)の時(とき)は大(だい)なるかな。” これまでもお話したことと同じ意味もあるので簡短に読んでいく。大過とは、大なる者、即ち、陽(よう)が余(あま)りに強すぎるのである。棟(むなぎ)が撓(たわ)むとは、中部が余りに大きく強く、本(ほん)と末(まつ)が余りに小さく弱いので、棟(むなぎ)を支(ささ)えられず、下に向って曲り撓(たわ)むのである。此(この)卦(か)は陽(よう)剛(ごう)なる者が、多く過ぎ、強く過ぎるけれども、幸いに九二(きゅうじ)と九五(きゅうご)とは中(ちゅう)の徳(とく)を有しており、下の巽の巽順、上の兌の和らぎ、悦(よろこ)ぶ徳を以て事を行うので、進んで行って事を行うに、宜しく、そこで、亨(とお)り事が上手(うま)く成就(じょうじゅ)するのである。 元(げん)の李簡(りかん)は、「卦(か)たる上(うえ)は兌(だ)、下(した)は巽(そん)、四(し)陽(よう)、中(ちゅう)に居(お)り、剛強に過ぎ、上下(じょうげ)皆(みな)陰(いん)、両端(りょうたん)柔弱(にゅうじゃく)なり。故に、棟(むなぎ)撓(たわ)むの象(しょう)有(あ)り。孟子(もうし)曰(いわ)く、民(たみ)を貴(たっと)しと為し、社稷(しゃしょく)、之(これ)に次(つ)ぎ、君(きみ)を軽(かる)しと為すと。即ち、大過(たいか)の民(たみ)を本(ほん)と為(な)し、君(きみ)を末(まつ)と為(な)すの意なり。故に、王注(おうちゅう)に云(い)う、初(しょ)を本(ほん)と為(な)し、上(じょう)を末(まつ)と為(な)す。君上(きみうえ)に弱(よわ)く、民(たみ)、下(した)に疲(つか)れ、中(ちゅう)に居(お)りて事(こと)を用(もち)ふる者は、皆(みな)、剛梗(ごうきょう)にして制(せい)せられざるの臣(しん)なり。棟(むなぎ)既(すで)に撓(たわ)めり。大厦(たいか)其(そ)れ将(まさ)に、顛(くつがえ)らんとするか。剛過(ごうす)ぎたれども中し、巽(そん)にして行(い)くは、乃(すなわ)ち之(これ)を拯(すく)ふの道なり。」と曰(い)って居る。大過(たいか)の時(とき)は、まことに重大なる時である。慎重に処置しなければならぬ。若(も)しうまく処理しない時は、自分も国も亡びる重大な時で、油断できない。大(おお)いに人に過ぎる道徳(どうとく)才能(さいのう)ある人でなければ、善く処置することは出来ないのである。 “象(しょう)に曰(いわ)く、澤(たく)、木(き)を滅(めっ)するは、大過(たいか)なり。君子(くんし)以(もっ)て獨(どく)立(りつ)して懼(おそ)れず。世(よ)を遯(のが)れて悶(もだ)ゆる无(な)し。” 澤(たく)は上(うえ)の兌(だ)、木(き)は下(した)の巽(そん)の卦(か)である。此(この)卦(か)は澤(さわ)の水(みず)が余(あま)りに多すぎて、木が見えなくなる程、水(みず)に浸(ひた)されて居るのが、大過(たいか)の象(しょう)である。世の中(よのなか)大(おお)いに乱れ、正道(せいどう)将(まさ)に亡(ほろ)びんとする危急(ききゅう)存亡(そんぼう)の時(とき)である。君子(くんし)は、此(こ)の象(しょう)を見て、堅固に我が志を守って、卓然(たくぜん)として独立(どくりつ)し懼(おそ)れることが無い(ない)。天下(てんか)に入れられず(いれられず)、世(よ)を遯(のが)れて隠棲(いんせい)するとも、自(みずか)ら道(みち)を楽しんで憂(うれ)え悶(もだ)えることは無いのである。独立(どくりつ)して懼(おそ)れずとは、下の巽(そん)の木(き)の根(ね)が深く固(かた)くて、水(みず)に流(なが)されたり、倒されたりしない象(しょう)で、世(よ)を遯(のが)れて悶(もだ)ゆる无(な)しとは、上の兌(だ)の和(やわ)らぎ、悦(よろこ)んで居(い)る象(しょう)である、と古人(こじん)は曰(い)って居る。君子(くんし)が大過(たいか)に処(しょ)する道を説(と)くのである。 “初六(しょりく)、藉(し)く白(はく)茅(ぼう)を用(もち)ふ。咎无(とがな)し。” 他(ほか)卦(け)とは異なり(ことなり)、此(この)卦(か)は大過(たいか)、大(おお)いに行き過ぎる(いきすぎる)卦(か)であるので、陽爻(ようこう)陽(よう)位(い)、陰爻(いんこう)陰(いん)位(い)は余り(あまり)に行き過ぎ(いきすぎ)善くない爻(こう)とし、陽爻(ようこう)陰(いん)位(い)、陰爻(いんこう)陽(よう)位(い)は行(い)き過ぎるべきところが調和されて程好(ほどよ)くなる善い爻と見てある。即ち前者は凶(きょう)であり、後者は吉である。雷天(らいてん)大壮(だいそう)も然(そ)うなって居る。司馬(しば)温(おん)公(こう)は、「大過(たいか)の時(とき)は、剛(ごう)已(すでに)に行(い)き過ぎたり。止(た)だ之(これ)を済(すく)ふに柔(じゅう)を以(もっ)てす可(べ)し。之(これ)を済(すく)ふに剛(ごう)を以(もっ)てす可(べ)からざるなり。故に、大過の時は、皆(みな)、陰(いん)に居(い)るを以て吉(きち)と為(な)し、位(くらい)を得(え)るを以(もっ)て美と為(な)さず。」曰って居る。此事(このこと)を心得(こころえ)て置(お)かぬとまご柔らかなつくのである。 藉(し)くとは、物を置くのに其下(そのした)に敷(し)くこと。白(はく)芽(ぼう)は、白いちがや、潔白(けっぱく)な柔(やわ)らかな草で、巽(そん)の卦(か)の象(しょう)。巽(そん)の卦(か)の色(いろ)は白、又、陰(いん)の木(き)で白(はく)芽(ぼう)の象(しょう)。二(に)、三(さん)、四爻(よんこう)で乾(けん)の卦(か)が出来、乾(けん)の卦(か)は金(きん)や玉(ぎょく)の類(たぐい)。金(きん)の玉(たま)を置くのに、その下に潔白な柔らかい芽(め)を藉(し)いて、その上に置くのである。このように事を行うに、敬(つつし)み慎(つつし)んで事を行うことを云う。此爻(このこう)は、繋辞伝(けいじでん)にも慎(つつし)むの至(いた)りなり。」と曰ってある。此爻(このこう)は陰爻(いんこう)陽(よう)位(い)、故(ゆえ)、咎无(とがな)きことを得られるのである。陰爻(いんこう)で柔順(じゅうじゅん)、巽(そん)の卦(か)の最下(さいか)位(い)に居り、慎(つつし)むことの至極(しごく)なる者(もの)であるが、陽(よう)位(い)に居(お)るので畏縮(いしゅく)していぢけるに至(いた)らない。要(よう)するに、此爻(このこう)は大過(たいか)の時(とき)に於(お)いて深く恭敬(きょうけい)して、慎重に事を行うので咎(とが)は無(な)いのである。そうして、陰爻(いんこう)陽(よう)位(い)にあるので、畏縮(いしゅく)しないことを注意して見るべきである。宋(そう)の胡瑗(こえん)(胡(こ)安定(あんてい)先生)は、「事(こと)を為(な)すの始まりは、軽易(けいい)にす可(べ)からず、必ず須(すべから)く恭(きょう)慎(しん)なるべし。然(しか)る後(のち)に、以て咎(とが)を免(のが)す可(べ)し。況(いわ)んや大過(たいか)の時(とき)に居(お)るをや。是(こ)れ其事(そのこと)至(いた)って重く、功業(こうぎょう)至(いた)って大なり。尤(もっと)も為(な)す有(あ)るに易(やす)からず。必(かなら)ず当(まさ)に分(ぶん)に過(す)ぎて慎重なるべくして、然(しか)る後(のち)に可(べき)なり。苟(いやし)も事の始(はじ)めに於いて、之(これ)を慎(つつし)むこと此(こ)の如(ごと)くなれば、則(すなわ)ち以(もっ)て天下(てんか)の大功(だいこう)を立て天下(てんか)の大利(だいり)を興(くみ)す可(べ)し。又、何(なん)の咎(とが)か之(こ)れ有(あ)らんや」と曰(い)って居(い)る。 “象(しょう)に曰(いわ)く、藉(し)くに白(はく)芽(ぼう)を用(もち)ふとは、柔(じゅう)、下(した)に在(あ)るなり。” 清浄(せいじょう)なる白い(しろい)柔らか(やわらか)な芽(め)を下(した)に藉(し)いて物(もの)を載(の)せるとは、卑(いや)しい位地(いち)に居って(おって)、柔順(じゅうじゅん)に、只管(ひたすら)敬(つつし)み慎(つつし)んで居ることである。柔(じゅう)、下に在りとは、陰爻(いんこう)が下に在ること。即ち、柔らかな芽(め)を下に藉(し)くことである。 “九二(きゅうじ)、枯(こ)楊(よう)、稊(ひこばえ)を生(しょうず)ず。老夫(ろうふ)、其女妻(そのじょさい)を得(う)。利(よろ)しからざる无(な)し。” 楊(やなぎ)は水辺(みずべ)にある木(き)。巽(そん)は陰(いん)の木(き)、上(うえ)の卦(か)は澤(たく)。澤(さわ)の近くに生えているきであるから楊(やなぎ)の木(き)と見てある。楊(やなぎ)は水を好むが余りに、多すぎても枯れるのである。大過の楊(やなぎ)は枯(か)れるべきである。稊(ひこばえ)は葵(あおい)と通じ、「ひこばえ」と和訓(わくん)し、木の根もとから出る芽。老夫(ろうふ)は年取った夫で九二をさす。女妻(じょさい)は年若い妻で初六を指す。此爻は大過の時に当って、陽爻(ようこう)で陰爻(いんこう)に居(お)り、剛強の中に柔らかな気分があり、又、中(ちゅう)の徳(とく)を持ち、初(しょ)六(りく)と相比(あいひ)して居るので、譬(たと)えば、枯(か)れかかった楊が活き返って、根元(ねもと)から芽(め)がでる如(ごと)く、又、年老いた男が若い妻を得、其の内助の力を得、又、子孫を生育するを得るが如くで、如何(いか)なる場合にもうまく行かぬことは無いのである。大過の時の陽剛であることは、枯れかかった楊(やなぎ)、又、年老いた男の如(ごと)くであるが、それが陰(いん)柔(じゅう)を以(もっ)て和(やわ)らげ助(たす)けられるときは、枯(か)れかかった楊が生き返って根元から芽を生じ、年老いた男が若き妻の内助(ないじょ)を得られる如くであると云うのである。九二(きゅうじ)が陽(よう)剛(ごう)の才能(さいのう)に謙譲(けんじょう)柔順(じゅうじゅん)にして中の徳を持って、初(しょ)六(りく)に相比(あいひ)して居るのは、相当(そうとう)高い(たかい)位地(いち)の者が、能(よ)く下の人民(じんみん)に下(くだ)り相(あい)親(した)しんで、其の助を得ることに当るのである。かようにして大過(たいか)の時代(じだい)に当る時は、傾(かたむ)き覆(くつがえ)らんとする大過の時代を救済出来るであろう。柔(じゅう)を以(もっ)て剛(ごう)を和(やわ)らげることの功果を説くのである。彖伝(たんでん)に「剛過ぎたれども中し、巽(そん)にして説(よろこ)びて行く」とあるのは主として此爻(このこう)を指(さ)すのである。周(しゅう)易(えき)折中(せっちゅう)には、この九二(きゅうじ)と九四(きゅうし)とを主爻(しゅこう)としてある。 “象(しょう)に曰(いわ)く、老夫女妻(ろうふじょさい)は、過(す)ぎて以(もっ)て相與(あいくみ)するなり。” 年老いた男が年若き妻を得るとは、年齢の差は大いに過ぎるが、相與(あいくみ)し善く和合(わごう)し、其(その)内助(ないじょ)を得、又、子孫(しそん)を生育(せいいく)することが出来るのである。九二は力が強く、初六は力が弱く、九二は位高く、初六は位(くらい)低(ひく)く、大きな相違があるけれども、九二(きゅうじ)は初(しょ)六(りく)と善く和合(わごう)し、初(しょ)六(りく)の助(たすけ)を得られるのである。 “九三(きゅうさん)、棟(むなぎ)撓(たわ)む。凶(きょう)。” 九三(きゅうさん)は、陽爻(ようこう)陽(よう)位(い)、余りに剛強に過ぎ、気象(きしょう)あらあらしく騒(さわ)がしいのである。これでは大過の時に当って、うまく処置できず、たとえば棟(むなぎ)が下に向って曲り撓(たわ)んで、どうすることも出来ないようなもので、凶(きょう)にして禍(わざわい)を受けるのである。 “象(しょう)に曰(いわ)く、棟(むなぎ)撓(たわ)むの凶(きょう)は、以(もっ)て輔(たすけ)有(あ)る可(べ)からざるなり。” 九三(きゅうさん)は家(いえ)の棟(むなぎ)が下(した)に曲り(まがり)撓(たわ)むが如く(ごとく)凶(きょう)であるとは、余り(あまり)に剛強(ごうきょう)に剛強(ごうきょう)に過ぎ(すぎ)、ただ自力(じりき)に任(まか)せて事を行うので、誰か輔佐する者が有ることは出来ないからである。上(じょう)六(りく)と相(あい)応(おう)じて居るが、上(じょう)六(りく)は陰爻(いんこう)陰位で余りに柔弱(にゅうじゃく)無能(むのう)、そうして九三(きゅうさん)は剛強(ごうきょう)一点張(いってんば)りで上(じょう)六(りく)などを一切(いっさい)顧(かえり)みないのである。此爻(このこう)は、大過(たいか)の時に剛強に過ぎることの禍(わざわい)を説くのである。 “九四(きゅうし)、棟隆(むなぎたか)し。吉(きち)。它(た)有(あ)れば吝(りん)。” 隆(りゅう)は隆(りゅう)然(ぜん)として高く起るなり。棟(むなぎ)が高く上に横たわって居るのである。一(いっ)卦(か)全体(ぜんたい)を説明する彖(たん)の言葉(ことば)では、此(この)卦(か)全体(ぜんたい)を一本(いっぽん)の棟(むね)と見ているが、六爻に分けてみれば、真中の二爻(にこう)、九三(きゅうさん)と九四(きゅうし)とを棟(むね)と見てある。棟(むなぎ)は家の中央に在るので、この二爻(にこう)を棟(むなぎ)とみるのである。九三は陽爻(ようこう)陽(よう)位(い)、余りに剛強で他人の輔佐(ほさ)無く、棟(むなぎ)が下に曲がり撓(たわ)み、此家は終に傾(かたむ)き覆(くつがえ)るに至るのであるが、これに反して九四は陽爻陰位、初(しょ)六(りく)と相応(あいおう)じており、剛強な才能が有る上に、柔順にして善く人を用いることを知って居り、従って、多くの人の輔佐(ほさ)があり、棟は高く上に横たわり、下に曲(まが)り撓(たわ)むことは無いのである。即ち、柔(じゅう)の徳(とく)を以(もっ)て剛(ごう)の徳(とく)を調和(ちょうわ)し、余りに剛に過ぎることが無いので、大過(たいか)の危険(きけん)な時代(じだい)に於いて、能(よ)く其(その)任務(にんむ)に堪(た)え得られるのである。これは大過に処する善い道であり、専(もっぱ)ら此(この)道(みち)に従うべきである。陰陽(いんよう)剛(ごう)柔(じゅう)が程好(ほどよ)く調和した善い道を守るべきことを戒(いまし)めているのである。此爻(このこう)の教(おし)えは、前の九二の教えと大体(だいたい)同(おな)じいが、位地(いち)が違うのである。九二(きゅうじ)は士(し)、九四(きゅうし)は大臣(だいじん)の位(くらい)である。周(しゅう)易(えき)折中(せっちゅう)には、此爻(このこう)も主爻(しゅこう)の一つと見ている。危急(ききゅう)存亡(そんぼう)の情態(じょうたい)に処する道は、柔(じゅう)を以て剛(ごう)を調和(ちょうわ)するが善いと説くのが大過(たいか)の卦(か)の教えである。 “象(しょう)に曰く(いわく)、棟(むなぎ)隆(たか)きの吉(きち)は、下(した)に撓(たわ)まざるなり。” 九四(きゅうし)は棟(むなぎ)が高く(たかく)わたって居る(いる)が如(ごと)くで吉(きち)とは、陽爻(ようこう)陰(いん)位(い)、柔(じゅう)の徳(とく)を以て(もって)剛(ごう)の短所(たんしょ)を補う(おぎなう)ので、この棟(むなぎ)は下に向って曲り撓(たわ)むことは無いのである。 “九五(きゅうご)、枯(こ)楊(よう)、華(はな)を生(しょう)ず。老婦(ろうふ)、其(そ)の士夫(しふ)を得(う)。咎(とが)も无(な)く誉(ほまれ)も无(な)し。” 枯(こ)楊(よう)、華(はな)を生ずとは、枯(か)れかかった楊(やなぎ)に花が咲くのは、僅(わずか)に残った生気を発散さすので枯れることを促進することになるのであり、忽(たちま)ちにして枯れてしまうのである。前の九二(きゅうじ)は根元(ねもと)からひこばえが出て活(い)き返るのである。老婦(ろうふ)、其士夫(そのしふ)を得(う)とは、老婦(ろうふ)は上六(じょうりく)、士夫(しふ)は九五(きゅうご)で、年取った女が若い男を得ることで女は悦(よろこ)ぶが、男の方は内助(ないじょ)の功(こう)も得られず、足手(あしで)まといになるだけで、何の功能もないのである。これは九五(きゅうご)が将(まさ)に亡びんとする上(じょう)六(りく)の陰(いん)と相比(あいひ)していても、何の役にも立てぬことを喩(たと)えたのである。又、「士夫得其老婦」と書いて無いところにも注意してみるべきで、九五(きゅうご)と上(じょう)六(りく)との競合は、上(じょう)六(りく)が望んで九五(きゅうご)と結び附いたことを表わすのである。九五(きゅうご)は大過(たいか)の時、陽が余りに剛強に過ぎて将(まさ)に衰亡(すいぼう)に向おうとして居る時に、九五(きゅうご)は天子(てんし)の位(くらい)に居るが、陽爻(ようこう)陽(よう)位(い)なるも、幸いに中(ちゅう)の徳(とく)を持って居る。けれども下に応爻(おうこう)無く相比(あいひ)して居る上(じょう)六(りく)は、大過(たいか)の時にあって、陰爻(いんこう)陰(いん)位(い)柔弱(にゅうじゃく)に過ぎるのである。この上六が九五に相親しむことを求めて相親しむのである。九五(きゅうご)が柔弱(にゅうじゃく)無能(むのう)なる上(じょう)六(りく)と相(あい)親(した)しむのは、何の功能もないのであり、譬(たと)えば枯れかかった楊(やなぎ)に花が咲いたようなもので、根本は生気(せいき)が無くて却(かえ)って滅亡を早くするにすぎないのである。又、譬(たと)えば年取ったお婆(ばあ)さんが若い男へ嫁(か)したようなもので、内助(ないじょ)の功(こう)無く、子供が生まれる訳にも行かず、ただ九五の足手まといになるに過ぎないのである。九五(きゅうご)が上六と相(あい)親(した)しむのは、咎めるほどの悪い事でも無いが、名誉とすべき事でもなく、何の益もないのである。これは九五(きゅうご)が大過(たいか)の時に於いて、自分を輔佐(ほさ)する善い臣下が無く、たまたま自分に従っている柔順(じゅうじゅん)無能(むのう)な、頼りない取り巻きの人々ばかりであることを説くのである。前の九二(きゅうじ)は下に在って、下の初(しょ)六(りく)と相(あい)親(した)しみ、下へ根を張って行くので、稊(ひこばえ)を生ずと曰ってある。この九五(きゅうご)は上に在って相比(あいひ)して居る上(じょう)六(りく)は其上(そのうえ)に在るので華(はな)を生ずと曰うのである。前の九二(きゅうじ)には、善い輔佐(ほさ)が就(つ)いて居るが、この九五(きゅうご)には無く、遠からず傾き覆(くつがえ)る外(ほか)無(な)いのである。 “象(しょう)に曰(いわ)く、枯(こ)楊(よう)、華(はな)を生(しょう)ずるは、何(なん)ぞ久(ひさ)しかる可(べ)けんや。老婦士夫(ろうしふ)は亦醜(またしゅう)とす可(べ)きなり。”  九五(きゅうご)に良い(よい)輔佐(ほさ)無く(なく)、柔弱(にゅうじゃく)無能(むのう)な上(じょう)六(りく)と相(あい)親(した)しむのは、枯(か)れかかった楊(やなぎ)に花(はな)が咲いて(さいて)いたようなもので、遠からず滅びるのである。又、年老いた女と若い夫との関係のようなもので、誠に、不釣(ふつ)り合で、これも亦(また)醜(みにく)いものとすべきである。 “上六(じょうりく)、過(す)ぎて渉(わた)りて頂(いただき)を滅(めっ)す。凶(きょう)。咎无(とがな)し。”  上六は、陰爻陰位、陰が余りに過ぎ柔弱無能であり、此卦の上爻、大過の極に居り、甚だ行き過ぎるのである。此卦は全体として見れば、坎の卦の形で、坎は水である。又、上の兌は澤、三、四、五爻で乾の卦が出来、乾は首と為すと説卦伝にある。乾が兌に覆われて居る。頭の頂上が澤の中にもぐって居る。それが「頂を滅す」である。上六は柔弱無能の自分を顧みず、舟の用意も無く、泳ぐことも知らず、澤を渉ろうとして、深い処に入り、頭の頂上まで水の中にもぐり込み、遂に、溺れてしまうのである。上六は、大過の極みに居て、柔弱無力な自分を顧みず、将に、傾かんとする世の中を救おうと、無闇に進んで行き過ぎ、遂に、生命も失うに至り、凶である。けれども、身を殺して仁を為そうとしたのであるから、義に於いては咎めるべき点は無いのである。 “象(しょう)に曰(いわ)く、過(す)ぎて渉(わた)るの凶(きょう)は、咎(とが)む可(べ)からざるなり。”  柔弱(にゅうじゃく)な上(じょう)六(りく)が自分を顧(かえり)みず、水を渉(わた)ろうとして、溺死(できし)したのは、世の中を救おうと進んで行ったことによるのであるから、其(その)志(こころざし)は決して悪く無く、之を咎(とが)めることは出来(でき)ないのである。 要するに、此(この)卦(か)の六爻(ろっこう)は陽爻(ようこう)陽(よう)位(い)は余りに剛(ごう)に過ぎ、陰爻(いんこう)陰(いん)位(い)は余りに柔(じゅう)に過ぎて、いづれも善くない爻としてあり、陽爻(ようこう)陰(いん)位(い)は行き過ぎて居る剛(ごう)が柔(じゅう)の位(くらい)で、陰爻(いんこう)陽(よう)位(い)は柔(じゅう)が剛(ごう)の位(くらい)で、それぞれ調和されているので善い爻としてある。下(げ)経(けい)の雷天(らいてん)大壮(たいそう)もこのようになって居(お)り、他の多くの卦とは、爻(こう)の見方(みかた)が違っている。又、此(この)卦(か)は真中(まんなか)から上下に分けて、反対(はんたい)の象(かたち)を取ってある。即ち、中央の三爻(さんこう)と四爻(よんこう)と相対(あいたい)して居り、皆、棟(むなぎ)を象(かたち)としてあり、九三(きゅうさん)は棟(むなぎ)撓(たわ)む、九四(きゅうし)は棟(むなぎ)隆(たか)しと反対になっている。二爻(にこう)と五爻(ごこう)とは、皆、枯(か)れ楊(やなぎ)を象(かたち)として、九二(きゅうじ)は稊(ひこばえ)を生(しょう)じ、九五(きゅうご)は華(はな)を生ずと反対になっている。初爻(しょこう)と上爻(じょうこう)と相対(あいたい)しており、初(しょ)六(りく)は藉(し)くに白(はく)芽(ぼう)を用(もち)ふとあり、慎む上にも慎んで居るのであり、上(じょう)六(りく)は過(す)ぎて渉(わた)りて頂(いただき)を滅(めっ)すとあり、自分の力を量(はか)らず、無闇(むやみ)に進んで危険な処(ところ)に飛び込んで行くと見てあり、反対になって居るのである。

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